[思い出]ファミコン:ドラゴンクエスト、私達の勇者「せねのと」誕生
タイトル | ドラゴンクエスト (Dragon Warrior) |
機種 | ファミリーコンピューター / NES |
発売日 | 1986年5月27日 5,500円 |
販売元 | エニックス |
ジャンル | RPG、 |
相場(投稿時) | ソフトのみ:~500円未満、箱説付:1500~2000円 |
タグ | お気に入り、おすすめ、思い出、佳作、 |
名言 | おお せねのと! しんでしまうとは なにごとだ! |
先日実家に帰った時、元自室のレトロゲームスペースをあさっていると、ノートの切れ端とオレンジの厚紙で作ったファミコン版ドラゴンクエストの「ふっかつのじゅもん帳」を見つけた。
小冊子にはパスワード制だったドラゴンクエストの「ふっかつの呪文」の他、武器や防具、やくそうなどのアイテムなどもイラストで描かれ、ちょっとした攻略本を目指した風に見えた。
間違いなく11歳の私が作った物だった。
ドラゴンクエストを手に入れた時の事
初代ドラゴンクエスト購入時については、おぼろげにではあるが多くの事を覚えている。
兄弟二人で両親を必死に説得し、二人分のお小遣いを前借してようやく買えたこと。
「ゆうしゃのなまえ」を付けるのに弟と1時間以上話し合ったこと。
朝5時、父がゴルフに出かけた瞬間に飛び起きてスライムベスを倒しまくったこと。
あまりにプレイしすぎて母親にACアダプタを何度も隠されたこと。
隠されたACアダプタは毎回3分かからずに発見できたこと。
中でも印象的だったのは、やはり「ゆうしゃのなまえ」を付ける時のことだ。
勇者「せねのと」の誕生
勇者の名前を決める
それは手に入れたばかりのドラゴンクエストを、兄弟で一緒にプレイした時のことだ。
(この頃は買ってもらったどんなゲームでも、初めてカセットの電源を入れる時は一緒にプレイしていた。私がサッカーの練習に行っていれば、弟は戻ってくるまで待っていたし、弟が野球に行っている時は私も同じように待っていた。)
ドラゴンクエストは開始直後からとある問題を引き起こした。
『ゆうしゃのなまえ』の入力である。
当時、小学生だった私達にとってゲームは一日一時間まで。もちろん二人で二時間というわけもなく、『二人で一時間』という配分。
そこに登場したのがドラゴンクエストで最初に行う『名前の入力』である。
初代ドラクエの主人公は一人、もちろん名前は、一人分しか入力できない。
私の名前で始めるのか、それとも弟の名前で始めるのか。
弟は主張した。
『「なまえ」は4文字までしか入らない。
4文字を超える私の名前よりも4文字以内で全部入力できる自分の名前の方がいい』
そう、確かに弟の名前は「4文字以内」だったが、私の名前は「5文字以上」だった。
納得できなかった。
だが、とりあえず弟の名前で入力してプレイを開始してみた。つよさを見るとこんな感じだった。
ちから :6
すばやさ :6
こうげき力:6
ぼうぎょ力:3
リセットを押して、今度は私の名前を入力してみた。
『あにし” ゃ』と入力したいが、4文字制限のため途中で削られて物凄く中途半端だ。
ちから :4
すばやさ :4
こうげき力:4
ぼうぎょ力:2
ここである事に気付いた。
そう、「あにじゃ」は「おとうと」の名前の時より明らかに弱い。
ファミコン版のドラゴンクエストは、入力した名前によって初期と成長パラメータが異なる。
試しに何人か友達の名前を入力してみたが、弟の名前が一番強かった。
なんということだろう。
ドラゴンクエストの世界において、弟の名前は祝福を受けし名前だったのだ。
だが、いくら祝福を受けた名前だとしても、弟に命名権を譲るのを兄として許すことはできなかった。心が狭いと罵られようと、ドラゴンクエストの名前だけは譲れない。小学生ゲーマーとはそういうものなのだ。
お互いに名前の入力は譲らず、名前の入力画面からなかなか先に進めなかった私達兄弟だったが、プレイ時間は限られており、結局は『二人で名前を決めよう』という事になった。
二人が納得する「ゆうしゃのなまえ」
一番の解決策と思えたのがまずは名字。
これなら二人共通の名前だし一見妙案に思えた。
しかしそれは答えとして、あまりにも平凡だった。
ドラゴンクエストというファンタジーの世界に、今から堂々と乗り込むにしては酷く普通過ぎる事に思えたのだ。
なかなか決まらず、コントローラーを適当に入力してボタンを押しているとそれは現れた。
せねのと?
意味はよく解らない。
だけど「名前はいい加減に決めて、ゲームを一刻も早くプレイしたい」という一点において私達兄弟の意見は間違いなく一致していた。
よくわからないけどこれでいい。
「せねのと」採用。
「勇者せねのと」大決定。
かくして私達兄弟にとっての初めての勇者となる「せねのと」の冒険は幕を開けたのである。
勇者「せねのと」の冒険
冒険に出た「せねのと」はガンガンレベルを上げた。
名前が決まるまでにかかった時間を取り戻すかのごとく、
一日一時間とは言わず、
父が朝5時にゴルフに出かけた隙に、
母が買い物に出かけている間に、
せねのとはどんどん強くなった。
最初の頃は違和感を感じていたこの名前も、エンディングを迎える頃になるとすっかり愛着が湧いていた。
そして、レベル20を迎えたある日、勇者「せねのと」はついに悪の化身りゅうおうを倒し、アレフガルドに平和を取り戻したのだった。
その後の「せねのと」の活躍
後日談、その後も「せねのと」の冒険は終わらなかった。
ドラゴンクエストをはじめとした「私達双子の共通の分身」として、「ドラゴンクエスト2」ではローレシアの王子となり、「オホーツクに消ゆ」では名刑事として活躍した。6人パーティの「ウィザードリィ」でも私達兄弟の名前に交じってなぜかちゃっかり参戦していた。「ウルティマ」の世界ではもちろん聖者アバタールだ。
ファミコン版ドラゴンクエストで生まれた「せねのと」は、私達が二人でゲームをする時の代名詞になった。
二人でプレイするのに一つの名前しか入力できない場合、私達二人は共通のゆうしゃ「せねのと」としてプレイする。
これが当時11歳の私達双子の中で生まれた一つの答えだった。
そして、今でも名前を付けるのに迷った時、私はこう入力するのだ。
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